ワーママぷらす

ワーママライフをテクノロジーでプラスに変える

子どもの発達と平均思考

私の周りでそれぞれ別の知人のお子さんで3人の子が多動(傾向)と言われています。
 
私たちが子どもの頃はそのような発達障害があまり有名ではなかったためか、子ども時代には発達障害を持つ子は学年に一人とかでした。
 
今は色んな検査で発達の程度が見分けられるようになってきているとは言え、多動ってそんなに多いものなの?とちょっと驚いています。
 
それで少し調べてみると、100人中5~6人くらいの割合でいるらしいです。
小学校1クラス40人とすると2人くらいいることになります。
結構多いですよね。
 
発達障害に関しては、以下のサイトに医学や教育に詳しくない素人にも分かりやすくまとめてあります。kidsinfost.net
 
 
このサイトで使われている「平均的」という文字と、
今読んでいる本『平均思考は捨てなさい』がリンクするところがありましたので考えをまとめます。
 

 

 

ちなみに私は医学従事者でも教育現場にも詳しくない、ど素人なので専門的知識は全くありません。ご了承ください。
 

平均的な子どもって何だ? 

発達障害の子どもって落ち着きがなかったり、空気が読めなかったりする症状(特性)があって、それで生活に支障が出ると困るから、生活しやすいように整えてあげると思うのです。
 
上記のサイトで性格の特性には凹凸があると書いてありますから、それが平均より離れていると生活しづらい特性を持っているということですよね。
 
でもその平均って何だろう。
 
全て平均の子なんているの?と疑問が湧いてきました。
 
というのも今読んでいる『平均思考は捨てなさい』は
 
「全て完璧に平均な人なんていない」という主張を元に書かれた本なのです。
 
 
 
発達障害とは話がずれますが、本の具体例を話します。
 
飛行機事故が多かった時代には飛行機のコックピットはパイロットの体形の平均値を元に設計されていました。
 
その「平均」に疑問を抱いた人が逆の調査で、コックピットの設計にピタリと合うパイロットが何人いるか調査しました。
 
その結果は「ゼロ」。
 
平均値を元に設計したはずなのに、その設計に合う人なんて一人もいかなったんです。
 
そこから「全てを平均値にしてしまうと失敗する」という結論が導き出されました。
 
 
 
平均値って便利ですけど、
自分と同じ人が一人もいないのと同じように、平均に完全に一致する人もいないんですね。
 
だから発達の程度だって、平均に完全に一致する人なんて一人もいないはずなんですよ。
 
それを存在しない平均に合わせようとしている面があるのではないでしょうか。
 

平均からのズレの許容度

もちろん、医学や教育の現場でもピタリと平均に矯正しようとしているわけではないとは思います。
 
では問題は何か?
 
私が一つ思うのは、日本ってそもそも
 
「平均からのズレの許容度」
 
が狭いのでは?
 
 
知人のお子さんも生活の一部しか見ていませんが、言われなければ発達障害と分かりません。
 
うち一人は多動傾向というだけで正確に診断を受けたレベルではなく、より一層症状が見て取れません。
 
それを虚像の平均と比べて「落ち着きがないから支援が必要!」と周り(知人の場合は親本人ではなく教育関係者)が言っているだけのような気もします。
 
 
平均からのズレの許容度が狭すぎて、少しでも落ち着きがなければ「この子は他の子と違う!」となってしまっているんじゃ?
 
 

多様性、個性が受け入れられる社会に

発達障害の子を支援する療育の予約も一杯で、予約が取れるのが半年~1年後だとも聞きました。
 
そりゃそれだけ多くの子を「療育が必要」と認定すれば対象者も増えるだろうなぁ。
 
 
別に少しくらい落ち着きがなくても活発とみれば良いじゃない。
 
生活しづらいのは個性を許容する土壌がないからであって、土壌の方を整える方向にはいかないのかな?
 
日本はやはり一国民性で、まだまだ多様性が小さく、どんどん平均を求めすぎて少しでもそこから外れると生きにくい社会と感じます。
 
もっと性格や生き方の凹凸を個性とみなして、受け入れてあげてほしいです。
 
そして良いところに目を向けて伸ばしていってほしいと願うばかりです。
 
 『平均思考は捨てなさい』非常に勉強になる本ですので是非読んでみてください!
 

 

【合わせて読みたい】

tomodaruma.hatenablog.com